1990年現在世界のDXCCウォンテッドカントリーリストの中で、日本に存在するQSLカードの少なさではアルバニアとトップを争う南極圏の絶海の孤島ブーベ島の全記録である。

 南大西洋上、南緯54度26分、東経3度24分にポッンと浮かぶこの島は、1739年1月1日にフランス人 M.J.B.C Bouvet de Lozier によって発見されたが、その正確な位置は観測されず、またその後、発見、接岸、上陸されていないため、その存在すらあやしまれるようになっていた当時では幻の島であり、また一部には島ではなく南極大陸から突き出た岬と考えられていた。
 その後、1772年、1774年、1775年に、アザラシ猟者等があたりで時々海図にない島を目にするようになり、1808年リンゼイ艇長は1つの島を発見し自分の名をつけた。その後、1822年にはアメリカ人モレル艇長がやはり島に出会い、最初の発見者であるブーベの名をつけたが、いずれも上陸の記録はない。
 1925年になってようやくイギリス人ノリスが2つの島影を発見、これはその形から過去に発見されたブーベ島にそっくりだったが、よくわからなかったために、この当時の英国の総理大臣の名前をとり、Lord Liverpoolと命名した。そして2人の人間が12月16日上陸に成功、一行は悪天候下の中、12月24日まで在島した。
その後また姿をくらましたが、1843年、1845年、1875年、1882年、1893年に人間の前に姿を見せているが、いずれも上陸を許していない。
1898年になってドイツの海洋探検船 Valdivid 号が再発見し,その位置を正確に測ったところ最初に報告された場所より55kmもずれていた。しかし、Valdivid号はその位置を測ったのみに終り、悪天候に阻まれて、上陸はできなかった。

ブーベ島の地形

 1927年12月ノルウェーの捕鯨探検船 Norvegia 号が船長 Harald Horntveldt の下に発見、上陸に成功した。この島には約1ヵ月間滞在し測量が行われた。
この島は面積58平方kmで東西9、5km、南北7、5kmあり海面より約800m程突きだした活火山の頂上部分にあたり、島の95パーセントは氷で覆われ、その後1910年頃に火山が噴火した跡もみられると報告されている。 彼らは、2年後の1929年、更に1931年にも訪れ、在島し、小屋を建てた。このため以後、この島はノルウェー領となった。
その後は1936年、1939年にも上陸されている。
一つの島に上陸成功がこれほど少ないのは、ブーベ島をとりまく気候上、地形上、そして海流の関係で、上陸を極めて困難にしているためである。このブーベ島は一つの円錐状の火山で構成され、クレーターはギザギザ、そしてその反対側に2つのピークがある。
北東の最高峰は3、068フィート、スロープの終端は切り立った絶壁が氷河となっている。東側は海面上約400フィートの氷壁が海におちこんでおり、北側と西側は急な傾斜で海におちこんでいる。
Cape Circoncision は北西端で氷河におおわれ、北東端は Cape Valdivia とよばれその突端はブリッジになっていおり、高さは541フィートもある。
東南端は Cape Fie とよばれ、西側は岬となっており、ノルウェーの一行はここから上陸している。
島の全体は黒い溶岩で構成され、大きな岩がゴロゴロしているか、ほとんどが氷におおわれ、またいたるところにブリッジがある。このブーベ島に上陸するためにこしらえた仮の停泊地点は Nyroysa の東側1。5マイルのところ21ヒロの深さをもったきりこみ状の所に設けられ、沖に向かって4本のケーブルが張ってあるという。
ブーベ島は海洋性南極地帯であり、激しい氷河帯の気候を示し、低い緯度にかかわらず温度は極端に高く、しばしば濃い霧に覆われてしまう。そして夜間には霜が降り、雪が降り出すと数時間にもわたり降り続くが、逆に晴れた日には強烈な太陽の照射があるため乾燥した多孔性の土壌になってしまう。気温は夏場である1月、2月は平均してプラス2度、晴れた日には北側に面した高い崖で20度以上もあり、最高33度になった記録も報告されている。
この島の住人は主に象アザラシとペンギンで、動物学者による最近の記録ではその数も象アザラシ6000頭、ベンギン120、000頭と言われている。

ブーベ島でのハム運用
 
 アマチュア無線活動としては、1962年11月26日、W4BPDのガスが、この大変な島に上陸しLH4Cで運用、11月30日4時までに3800局と交信した。しかしどうやって接岸しどこから上陸したかは明らかにされていない。
この時日本からは JA1BLC,JA1BK,JA1VX,JA8AQ が交信に成功した。 

当時の雑誌によると、日本で初めてブーベ島と交信したJA1BLC吉町氏は次のように語っている。
”当日いつものように14110MHz近辺でFEDXPメンバーとラグチューをしながらみんなでガスの出現を待ったが、結局出てこず午前0時頃になってみんなは段々とQRTしてしまった。
そのうちの一人JA1BK溝口氏は私に「出たら電話くれよ」といってQRT。最後に私一人、信号の全く聞こえない冬の14MHzをワッチ続けた。00:40JST頃CWで誰かが569程度の信号でCQを出し始めた、どこかなと思いダイヤルを止めたところ、なんとそれがLH4Cだった。早速私は交信した後、溝口氏の「電話くれよ」の言葉を思いだし約500m離れた公衆電話で溝口氏に連絡、帰ってみると溝口氏がコールの最中だった。この時はガス以外の信号は全く聞こえず、ガスは何回も何回もブーベ島からCQを出していた。”

JR6RRDがQSOに成功

 その後、1965年頃より色々な所からDXペディションを行っていたドン・ミラーが、3Y0Aのライセンスを取って運用すると言う話もあったが、それも消えてしまった。
そして、15年間全く電波のでなかったブーベ島にノルウェーの観測隊が上陸予定のニュースが飛び込んできたのは1976年の暮れだった。
 そして第2回目は、全世界注目のもとで1977年2月下旬にノルウェーの南極探検隊一行に加わっていたLA1VC、LA3CCによって実行された。 彼らは南極大陸にいるときから 3Y1VC,3Y1VE,3Y1CC,3Y3CC,3Y3CL 等を運用し、期待を十分もたせた。
彼らは南アメリカから南極大陸を経由して、ケープタウンに向かう途中、ブーベ島に立ち寄り無人ビーコンを設置してくる計画があった。その時にアマチュア無線局を開設するという方針であった。 LA1VCはノルウェー通信省電気通信技術者でこの観測隊にのりこんだ。 この時の設備は、アトラスのトランシーバーにバッテリー、そして14MHz用のダイポールアンテナであった。
当時の WEST COAST DX BULLTIN からの翻訳である。
「2月23日の午後、島の西北部 "West Wind Beach" と呼ばれるところに接近、10人の乗組員が上陸用のゴムボートに乗り出発したが、悪天候の為に上陸できず、母船に引き返さざるを得なかった。
翌24日、船は上陸地点を求めて島の回りを回遊、東南端の "Blacksand Beach"と呼ばれるところが、ただ一つの上陸可能地点であると判断し、上陸を決行した。
2月24日1300Zに上陸、5時間の滞在を予定、その時間内に、無人ビーコンを備え付け、アマチュア無線局を運用するという忙しさであった。
上陸した我々は、1500Zにアトラスのトランシーバーを設置したが、14MHzのコンディションは最低であった。最初の記念すべきQSOは15:45Z南アフリカのZS5WT、それからCQを連続的に出したが2局目はなんと、アジアは沖縄からのJR6RRDが16:07ZにこのCQをつかまえてQSOに成功、つづいてU.S.AのK6IDが16:09ZにQSO。その後何度となくCQを最高のカントリーのブーベ島から発射するが応答がなくなった。
ところが16:30Zになって突然ヨーロッパ方面にルートがオープンし、OH2BHを皮切りに26局とQSOできた。
最後のQSOは14AVQバーチカルアンテナを使用していたOH2BGDで、QSOが信じられなかったと言っている。
そして我々は、ブーベ島の日の入りが近くなった17:40Zに島を後にし母船に引き返した。予定では25日にも上陸したかったが、悪天候が我々を許してはくれなかった、このため26日16:00Z観測船は一路ケープタウンへと向かった」
この記事を読んでもわかるように日本でもQSOに成功したことがわかり、日本のDXerに大パニックが起きた。
QSO LIST:▼1.ZS5WT 2.JR6RRD 3.K6ID 4.OH2BH▼5.SM3BZH 6.OE1ER 7.OZ1LO 8.OH2QV▼9.SM3RL,10.LA2KD,11.SM3EVR▼12.UL7LAW 13.OZ7HT 14.LA1KI▼15.LA4HD 16.PY1HQ 17.SM3CXS▼18.YU3DX 19.OH2BC 20.OH2QV(2nd)▼21.YU2RC 22.YU2RT 23.SM3AUW▼24.4X4FU 25.SM5AQB 26.YU2RCZ▼27.SM3CXS(2nd) 28.SM3AUW(2nd)▼29.OH2BGD

JR6RRDは語る

 日本でQSOに成功したJR6RRD局は、喜びを次のように語っている。
「当局は、2月25日01:07JSTに3Y1VCとCWでQSOに成功しました。交換したレポートは559/549で、QRG は 14027KHz、ショートパスで、QRAはJohn、QSLはLA・Bureauとうってきました。当局の使用リグはTS−820+SB−220+AS−33でした。当日のコンディションはあまりよくなく、ZS方面が弱くオープンしている程度、最初は弱い信号のスロースピードでCQをだしている局があり、どこかとおもい聴いておりました。(誰もコールしていないようだった)。
よく聴くと3Y1VCと打っており、ビックリ!必死でコールしました。
(キーイングがうまく打てないほど興奮Hi)
しかし呼んでいても、当局は正確なDXペディションのニュースも知りませんでしたし、コールしている局は1局もなかったので、とても本物とは信じられない感じでした。
ビーム方向を何度となく確かめたくらいです。3ー4回のコールで応答があり、全く普通のQSOとおなじ方法でレポート、名前、QTH交換で終了しました。
その後パイルアップはもとより、1局も3Y1VCをコールする局が、当地では聞こえませんでした、本当に不思議です。
QSOの方法から、誰もDXペディションに気が付かなかったのでしょうか。
DXは10年以上やっておりますが、こんな幸運にめぐまれたのは初めてです。
多分、今回のこのQSOが、ラッキーな最初で最後ではないかと思います。今でも信じられない!!」
日本では、これで第1回、第2回をふくめて僅か5局の交信記録しかなかった。