典子 ホームスティ受け入れ体験記
内蒙古からの長旅を経て、不安そうな様子の格根塔娜さん(以下略してタナさんと呼ぶ)を我が家に招き入れたのは、平成5年8月31日の夕刻だった。
その日から1か月は我が家の5人家族と共に過ごすことになった。我が家は、父母、主人、当時小学校6年生だった息子の5人家族であり、三世代同居家族の中に外国の人を迎えたわけである。
我が家では、以前も中国の人のホームスティをしたことはあるが、この度のタナさんのように日本語がほとんど話せないというような人は初めてであった。
その日から、私たちの身ぶり手ぶりの悪戦苦闘の日々が始まった。どう身ぶり手ぶりで表すと、意が通じるかと頭を悩ませたものだった。でもそんな中で、交流の原点ともいえる貴重な体験をした。 来宅後2,3日たった夜のことだった。タナさんが何気なく歌集を取り出してたどたどしい日本語で「赤とんぼ」を歌い始めた。そばにいた私と息子は思わず顔を見合わせながら、すぐにタナさんの声に合わせて歌いました。今度はタナさんが、蛇皮線を弾きながら「さくらさくら」を歌いました。私たちも一緒に歌い、歌い終わると大きな拍手をしました。
タナさんはにっこり笑いました。それは、来られてから初めて見る明るい笑顔でした。「音楽は世界の共通語」という言葉をじっかんしたひとときでした。緊張していたタナさんの気持ちも和み、お互いが打ち解け和えた気分になりました。
ある時、タナさんが餃子を作ってくれました。スーパーで一緒に材料を買い求めると、手際のよく粉を練り、薄くのばして皮を作っていきました。見る間にきれいな形の餃子ができあがりました。手早さといい、美しさといい、味の良さといい正に本格的な中国の食文化でした。
私が、覚えたての中国語で「ハオ チー」と言うと、家族の皆も真似して「ハオ チー」と言いました。タナさんは大変満足して、その場の雰囲気は盛り上がりました。
餃子を作って食べるという共通の体験を通して、感動が生まれ、交流がより深まったように思います。
夕食後タナさんは、時々寂しそうな顔をすることがありました。「おなかがいっぱいになると、娘や息子を思い出す。このような食事をさせてやりたい。」と思うのだそうです。母親ならではの心を感じました。子を思う母親の気持ちは万国共通だと感動しました。
食事の前後には「いただきます」「ごちそうさまでした」を言う習慣も覚えました。中国にはこの言葉に当たる言葉はないようです。強いて言うのなら「チーパオラ」(おなかがいっぱい)だそうです。日本の文化の豊かさと日本語の美しさを改めて痛感しました。
国際化が一層進むといわれる中で、様々な人々と共に生きるために大切なことは何かを身を持って体験させてもらいました。
家族一同、言葉の壁を乗り越え、心と心の交流ができ、お互いに分かり合うことのできる喜びを実感した1か月でした。
